2015年10月25日日曜日

【画像】久美子ハウスの久美子さんの夫が偉大な画家だった件

今回バラナシで絶対に訪れたい場所があった。それは久美子ハウス。ここはバックパッカーにとって伝説の日本人宿である。僕は5年前バックパッカーだった時にここに泊まった。あの時は安さが全てみたいな感じで、ドミトリーでたいした空調もなく、季節的にも蒸し暑かったけど、伝説に宿に泊まれてうれしかった記憶がある。

ガンガーを遡上していくと「久美子の家」がある。階段を上ってすぐに入り口がある。宿泊するわけじゃないので、入り口の前で、入ろうか否か迷っていると、中からおじさんに手招きされた。

おじさんとは久美子さんのご主人であるこちらのひげもじゃの老人。風貌は5年前と変わらないが、2年前に目の手術をしたらしく、目が見えなくなったとのこと。僕は招かれるや否や軽く説教された。「日本からサムライは消えた」「成金になってサムライ魂がなくなっとる」的なことを言われた。宿泊するバックパッカーが減っていることを嘆いているのだろう。(この記事読んでるあなた、泊まってね)

説教が一息ついたところで、おじさんに久美子さんとどこで出会ったとかそういうのを聞いてみると、日本で出会ったらしい。その時の貴重な写真を見せてくれた。おじさん、目が見えないとか言ってたけどほんの少しは見えるらしい。

右下の方になんかおじさんが病院で寝ていて、久美子さんがそのそばに立っている。おじさんは日本で油絵を教えていたらしい。武蔵野美術大学、通称「むさび」、僕も聞いたことはある。久美子さんはそこでおじさんの生徒だったらしい。そこで出会ったらしい。

このファイルにはおじさんの思いでの写真とか新聞記事が貼り付けられていた。この記事はまだおじさんが留学生だったころの記事である。記事によると『武蔵野美術大学で油絵を学んでいるインドのサンテ・ランジャン・ゴンコウバアディアイさんが府中市の大久保さんに留学中にかいた油絵などを本にして贈った。サンテさんはゴヤのサルボドヤ大学で美学をを教えていたが、そこで新宿の北野組社長と知り合い、武蔵野美大に留学することになった』とのことである。

名刺には「サンテ」と書いてある。

話は忘れたけど、ネルー大統領が日本に来たときにもお会いしたんだとか。

一説によると久美子ハウスは韓国人ばっかりになったと聞いていたが、この日ドミトリーには泊まっている人は日本人1人とのことだった。久美子ハウスのすぐ横にこんな韓国人宿?みたいなのがあって、韓流ドラマに出て着そうな気持ち悪い韓国人の男の子が寝転んで漫画読んでいた。

久美子ハウスは久美子さんの息子さんが経営する新館が近くにできていて、日本人もそっちに移っているらしいが、まことに残念なことである。ぜひ日本人のバックパッカーは1泊でいいので旧館に泊まって欲しい、それでこそサムライである。世界各地にあると言われている「伝説の日本人宿」も、時代のうつろいとともに経営者がなくなり、建物も古くなり、おそらく宿も閉鎖していくだろうと思うが、とても嘆かわしいことである。と言って僕もエアコン付きの部屋にしか泊まりたくなくなってることに、歳くった事を感じると同時に、サムライ魂がなくなくっている事が自分で残念だ。今度行った時は旧館のドミトリーに挑戦したい。

「サンテ・ランジャン・ゴンコウバアディアイ」で検索しても何も出てこなかったけど、「shanti ranjan gangopadhyay」で検索するとyoutubeでインタビュー映像が出てきたので貼り付けておく。でもヒンズー語で意味は分からない。


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